会津とお茶

意外なお茶と会津の関係

意外なお茶と会津の関係

会津とお茶、一見あまり関係が無さそうですが、実は意外な関係があります。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置きによって蒲生氏郷が会津に入り、支配を続けてきました。
氏郷は織田信長の娘婿であり、器がおおきく勇猛な武将であるうえ、この時代を代表する文化人で、特に茶道に親しみ、のち利休七哲の筆頭にあげられるほどでした。
天正19年(1591)2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れ、死を命じられました。その際千家は茶の湯の世界から追放を余技なくされました。そんな折、氏郷は利休の茶道が途絶えてしまうことを惜しんで、利休の子である小庵を会津にかくまい、徳川家康と共に千家復興を秀吉に働きかけたのです。
その結果、「少庵召出状」が出され、その後小庵は京都に戻り千家の再興に努めました。
小庵が会津にかくまわれていた時の茶室が「麟閣」です。

参考:会津若松市観光公社ホームページ

このように、会津とお茶は意外と関係性が深いものだったのです。当店がお茶屋を営んでいるのも、少なからずこの歴史の影響を受けているのかもしれません。

福島県指定重要文化財 茶室麟閣(りんかく)

現在、千利休の子、小庵が建てたと言われる茶室「麟閣」を鶴ヶ城公園内で見学できます。
戊辰戦争で会津藩が敗れ、鶴ヶ城が取り壊される際に森川家にて大切に保全されてきましたが、平成2年9月12日の市制90年を記念して鶴ヶ城の元の場所に移築されました。
アクセスなど、詳しくは会津若松市観光公社ホームページでご確認ください。